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いつかは宮古島へ

いつかは宮古島へ

映像の世紀



映像の世紀



タイトル サブタイトル
第1集 20世紀の幕開け ~カメラは歴史の断片を捉え始めた~
第2集 大量殺戮の完成 ~塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現をみた~
第3集 それはマンハッタンから始まった ~吹き出した大衆社会の欲望が時代を動かした~
第4集 ヒトラーの野望 ~人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した~
第5集 世界は地獄を見た ~無差別爆撃・ホロスコープ、そして原爆~
第6集 独立の旗の下に ~祖国統一に向けて、アジアは苦境の道を歩んだ~
第7集 勝者の世界分割 ~東西の冷戦は、ヤルタから始まった~
第8集 恐怖の中の平和 ~東西の首脳は、最終兵器・核をもって対峙した~
第9集 ベトナムの衝撃 ~アメリカ社会が揺らぎ始めた~
第10集 民族の悲劇果てしなく ~絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった~
最終集 JAPAN ~世界が見た明治・大正・昭和~




あの頃、人々はまだ疑うことを知らなかった。

ロマンに溢れた遠足、荒々しい男らしい冒険。戦争は三週間--

出征すれば息もつかぬうちにすぐ終わる。大した犠牲を出すこともない…

私たちはこんな風に、1914年の戦争を単純に思い描いていた。

クリスマスまでには家に帰ってくる。

新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。

「クリスマスにまた!」


~オーストリア人作家ツバイク「昨日の世界」より~




行列の群集は、今まで見たこともない、やつれた労働者で、婦人や子供も混じっていた。

「パンをくれよ」「戦争をやめろ」という悲壮な叫び声は

その服装と顔色とに創造して、真実の声だと思われた。

徒手空拳の労働者は、数千人の犠牲者を出したが遂に、機関銃で鎮圧する軍隊に勝った。

それからの革命は、一瀉千里の勢いで、政府は脆くも一夜のうちに瓦解、

もう市内には、軒毎に赤旗が閃くようになった。


~日本人商社マンの手記より~




私はこの目で見てきました。

ロシアの市場では、公然と塩漬けにされた人肉が売られています。

数百万もの人間が、飢えと寒さで残酷なほどゆっくりと死を迎えているのです。

今、我々は一人になって考えるべきです。

何もしないで黙って見ていることが、はたして許されるのでしょうか?

ロシアの凄まじい冬は、刻一刻と近付いています。

もう一刻の猶予もないのです。

………………………… 中  略 …………………………

これ以上、何ヶ月もかけて議論するのは止めていただきたい。

こうしている間にも、ロシアの人々は息絶えているのです。

皆さんにも家族が居られることでしょう。

自分の妻や子供たちが、餓えて死ぬのを見ているのはどんな気持ちでしょうか?

それでもソ連政府を助けるぐらいなら、2000万の人々が餓死したほうがよいと言いきれる人がいるでしょうか?

そうだと言うなら、この場ではっきり申し出ていただきたい。


~F.ナンセンの演説録より~




全ては無駄であった。

あらゆる犠牲も、あらゆる労苦も無駄だった。

果てしなく続いた飢えも乾きも無駄だった。

しかも我々が死の不安に襲われながら、なお義務を果たしたあの時も無駄だった。

その時倒れた200万の死も無駄だった。

祖国を信じてかつて出征して行った幾百万の人々…

こんな事の為に、兵士達は死んでいったのであろうか?

こんな事の為に、17歳の少年はフランドルの地に埋もれたのだろうか?

その後数日にして。私は自己の運命を自覚するに至った。

私は政治家になろうと決意した。


~ヒトラー「我が闘争」より~




馬と大砲という、19世紀の戦争スタイルで始まった第1次世界大戦は、

僅か4年の間に世界のしくみを大きく変えました。

ドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国が滅びました。

そしてこの戦争は、大量破壊、大量殺戮という、現代の戦争システムを生み出したのです。

死亡した兵士900万人、負傷者2000万人。

第1次世界大戦で海軍大臣を務めたW.チャーチルは、この戦争を次のように解雇しています。



戦争から、煌きと、魔術的な美が、遂に奪い取られてしまった。

アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、

馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。

これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。

一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。

これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。

やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような

破壊のためのシステムを生み出すことになる。

人類は、初めて自分達を絶滅させることができる道具を手に入れた。

これこそが、人類の栄光と、苦労のすべてが、最期に到達した運命である。


~W.チャーチルの第1次世界大戦回顧録~




…何か、光り輝く異様なものが空をよぎった。

同世代の若者とは何も共通点を持たないかに見えた、一人のミネソタ出身の若者が英雄的行為を成し遂げた。

しばらくの間、人々はカントリー・クラブやもぐり酒場でグラスを下に置き、最良の夢に思いを馳せた。

(そうか…空を飛べば抜け出せたのか…)

我々の留まるところを知らない血は、果てしない大空にならフロンティアを見つけられたかもしれなかったのだ。

しかし、我々はもう引き返せなくなっていた。

ジャズ・エイジは続いていた。我々はまた、グラスを上げるのだった…


~S.フィッツジェラルド「ジャズ・エイジのこだま」より~




大衆へ、情熱を込めて語ったのは彼だけでした。

私たちは、何か新しい事を聞くために…何でもいいから新しい事を聞くために集会に出かけたのです。

ドイツ国内の状況は、悪化する一方でした。

人々の日常生活を支えていたものが根底からなくなり、自殺する人が溢れ、風俗は乱れました。

経済状況に絶望していた私たちは、ヒトラーの語る「新しいドイツ」が素晴らしいものに思えました。


ヒトラーは、「突撃隊」と呼ばれる私的な軍隊を組織しました。

その規律ある行動は、特に若者には一際魅力的にみえたといいます。



ナチスには神秘的な力で我々を魅惑し、熱狂させる…何か違ったものがあったのです。

それは旗をなびかせ、じっと前方を見つめ、太鼓打ちを鳴らしながら進む若者たちの一糸乱れぬ行進でした。

この共同体には、何か心を揺さぶる圧倒的なものがありました。

しかし…私の父がナチスについて語る時、その言葉に感激や誇りが無く、

それどころか、ひどく不機嫌な響きがあるのが理解できませんでした。

父は「連中の言うことを信じるな、連中は狼だ。ナチスはドイツ国民を恐ろしいかたちで誘惑しているのだ」

と言うのです。

しかし…父の言葉は、興奮した私たち若者の耳には入りませんでした。


~ヒトラー・ユーゲントの手記より~




我々が、今日持っている人類文化,芸術,科学,および技術の成果は、ほとんど専ら、アーリア人種が創造したものである。

アーリア人種は人類のプロメテウスであって、その輝く額から、いかなる時代にも常に天才の精神的な火花が飛び出し、

神秘の夜を明るくし、人類をこの地上の生物の支配者とする道を登らせた。

アーリア人種に最も激しい対称をなすものが、ユダヤ人である。

この世界にユダヤ人しかいなければ、彼らは泥や汚物に息が詰まるか、

憎しみに満ち満ちた争いの中で互いに騙し合おうと努めるだろう。

我々民族主義国家は、人種を一般生活の中心に据え、人種の純粋維持の為に配慮しなければならない


私は、オーストリアのイン川に面した街ブラウナウが、まさしく私の誕生の地となった運命を、幸福な定めだと考えている。

私には、この小さな国境の街が、大きな使命のシンボルのように思える。

というのは、この小さな街は二つのドイツ人国家の境に位置しており、少なくともこの両国家の再合併こそ、

われわれ青年が、いかなる手段をもってしても実現しなければならない、終生の事業と考えられたからだ。

同一の血を持つ民族は、共通の国家に属するのである。

ドイツ、オーストリアは、母国、大ドイツに復帰しなければならない。


我々は遂に、将来の領土獲得政策へ移行する。我が民族の子孫のため、領土獲得はもはや権利ではなく義務である。

この世界で最も神聖な犠牲は、土地のために流される血である。

ドイツは世界の強国となるか、あるいは滅亡するか、そのどちらかである。

我がドイツ民族は植民地ではなく、ヨーロッパの故郷の大地にその力の源を求める。

今日ヨーロッパで我々が求める新しい領土、それはロシアと、それに従属する東ヨーロッパの衛星諸国である。


~ヒトラー「我が闘争」より~




I am speaking to you from the Cabinet Room at 10, Downing Street.

This morning the British Ambassador in Berlin handed the German Government a final note

stating that unless we heard from them by 11.00 a.m.

that they were prepared at once to withdraw their troops from Poland,

a state of war would exist between us.

I have to tell you that no such undertaking has been received,

and that consequently this country is at war with Germany…

You can imagine what a bitter blow it is to me that all my long struggle to win peace has failed.


~チェンバレン首相のラジオ放送~


[日本語訳]

今朝、ベルリンのイギリス大使はドイツ政府に最後通牒を渡しました。

我々の国は、ドイツと戦争をすることになります。

平和への最後の努力が水泡に帰し、痛恨の極みであります…




街の到る所、炎上している家が、煌々と通りを照らしていました。

目の前には、モルタル、石材、コンクリートの塊が瓦礫の山と化し

その下から、生き埋めになっている人の悲痛な喘ぎ声が聞こえてきました。

何もかも燃え尽きていく・・・

イギリス製の織物、高価な革製品、愛用した家具、大事な思い出の品、そして、希望も・・・。

何もかも・・・


~ワルシャワ市民の手記より~




スペイン動乱は、人民と自由に対する反動との闘争である。

私の芸術家としての全生涯は、反動と芸術に対する絶え間なき闘争以外の何物でもない。

私が反動と死に対して同意できるなどと、誰が考えることができようか。

私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中のパネルにおいて、

スペインを苦痛と死の中に沈めてしまった軍国制度に対する嫌悪を、はっきりと表明する。


~P.ピカソ「ゲルニカ」制作の声明より~




We shall defend our islands,however the cost may be.

We shall fighat on beachs,landing grounds,in fields,in streets,and under hills.

We shall never surrender !!!


~W.チャーチルの演説より~


[日本語訳]

我々はこの島を守る。どんな犠牲を払っても。

我々は闘う。海岸で、水際で、内陸で、街頭で

我々は決して降伏しない




スターリングラードはもはや街ではない。日中は火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない

炎に照らし出された巨大な炉のようだ。

それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえボルガ川に飛び込み、必死に泳いで対岸に辿り着こうとする。

動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに固い岩でも、いつまでも我慢していられない。

人間だけが耐える? 神よ、なぜ我らを見捨て給うたのか・・・


~ドイツ軍将校の手記より~




私はこの目で、何千という女や子供の死体が線路や公道沿いに散らばっているのを見た。

彼らは、ドイツの禿鷹どもに殺されたのだ。

女子供の涙が、私の胸の中で煮えくりかえった。

殺人鬼ヒトラーとその一味には、その涙を、奴らの狼の血で償ってもらう。

憎しみに燃えた復讐者は容赦しない。


~ロシア詩人スルコフ「散文詩」より~




その日は雪がちらついていて、身を切るような寒さだった。

…蛇が見える。生け捕りにされて傷ついた者の、長い長い列だった。

くねくねと長いやつ…地平線に向かって一列に進んでゆく、

どれが先頭なのか見分けがつかない。

列の後ろの方に、道に倒れて動けなくなったドイツの陸軍中尉がいた。

中尉は、狼のような声で泣き叫ぶんだ。

パウロ、待ってくれ。ピーター、見捨てないでくれってねぇ…

仲間は肩を竦めて歩いていく。一度も振り返らずにねぇ…


~ソ連兵の回想より~




何ということだ…群集は捕虜たちに虐待を加えている。

見境の無くなった群集が怒りをやみくもに行使するのを、兵士達も阻止できない。

パリは沸々と沸き立ち、発酵しつつ、爆薬を用意している。

些末な憎悪や陰謀、個々の無数の苦悩が蔓延している。


~詩人ジャン・コクトー 占領下日記より~




父上様、母上様、喜んで下さい。いい立派な死に場所を得ました。

皇国の荒廃、この一戦にあり。大君の御盾となって、潔く死に就き、宿敵を撃滅せん。

男子の本懐、これに優るものが、またとありましょうか

23年間の幾清爽、よく育てて下さいました。

今度が、その御恩返しです。

よくも立派に、皇国のために死んでくれたと、褒めてやって下さい。

ああ、我ら特別自爆隊。向かう所は、敵空母に急降下


~神風特攻隊員の遺書より~




神風も、何もかも見ました。

胃がキリキリと痛むような、あんな光景は見たことがありません。

あの人達は死ぬのを覚悟していたんです。

私だって、入隊した時は命を捧げる覚悟でした。

でも、あんなやり方では…

……………………………………………………………………………………

日本兵は自らが正しいと思う道、つまり「武士道」を基にして闘っていました。

それは戦士の道。降伏はありませんでした。

全く望みの無い事態に直面しても、なお諦めようとしない兵士たち。

実際に彼らと戦ってみなければ、とても理解できないことです。

日本兵の誰かを助けようとすれば、その男は必ず手榴弾を爆発させて、

自分自身はもちろん、こっちまで死ぬことになるのです。

私達にとっては全くありえないことです。


~アメリカ海兵隊員の回想より~




空の特攻隊のパイロットは、一機械に過ぎぬと一友人がいった事は確かです。

操縦桿を執る機械、人格もなく、感情もなく、もちろん理性もなく、

ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく、磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。

理性をもって考えたなら、実に考えられぬ事で

強いて考えれば、彼らが言う如く「自殺者」とでもいいましょうか。

精神の国、日本においてのみ、得られる事だと思います。

一機械である吾人は、何も言う権利はありませんが、

ただ願わくば、愛する日本を偉大ならしめられん事を

国の方々にお願いするのみです。


~きけ わだつみのこえより~




第二次世界大戦の犠牲者の数は、6,500万人に及ぶという推計があります。

そして、その内4,000万人以上が、武器を持たない市民といわれています。

第二次世界大戦は無抵抗の市民を殺戮するという、永遠に消すことのできない傷跡を

人類の歴史に残したのです。




私は機密の書類を読んで、事態の全貌が分かった。

ソ連は完全にポーランドを軍事占領しており、

いわゆるルブリン政権―ソ連側が作った傀儡政権に全面的支持を与えていたのだ。

ソ連はヤルタでの協定に従って行動していなかった。

これは、直ちに片づけなければならない問題だと、私は考えた。

……………………………………………………………………………………………………………

ポツダムで、スターリンと直に会って

私はソ連は無情な取引者であって、常に自分だけ利益を得ようとするものであることを見抜いた。

ソ連の外交政策は、我が方の行き詰まりに乗じて利益を得ようと企むものであると明白となったのだ。


~ポツダム会談後のトルーマンの発言~




「ガンジー語録」

祖国統一は、私たちの永遠なる夢です。

私たちは、外国の言葉ではなく、私たち自身の言葉でこれから歴史を語らなければなりません。


インドの命運は糸車にかかっています。

イギリスの綿製品がインドに流れ込むようになって以来、人々は糸車をしまい込みました。

それが、インドから繁栄を奪い去ったのです。

糸車はインド人の暮らしにとって、空気や水と同様に欠かせない物だった筈です。

どうぞ、埃をかぶった糸車を取り出して、インドの糸を紡いでください。

イスラム教徒もヒンズー教徒も、みんなで糸を紡いでください。


暗闇の中で苦悩しているのは、私だけなのでしょうか・・・?

インドとパキスタンが分離独立すれば平和が戻ってくると、皆は考えているのでしょう。

私はまったく孤立してしまいました。

しかし、何と言われようとも、私は自分の思った通りを語らなければなりません。

インドの分裂は間違っています。このような独立の行く末は闇に包まれることしょう。

私には、はっきりと見えるのです。


私は、あなた方日本人に悪意を持っているわけではありません。

あなた方日本人は「アジア人のアジア」という崇高な希望を持っていました。

しかし今ではそれも、帝国主義の野望に過ぎません。

そして、その野望を実現できずに、アジアを解体してしまう張本人になってしまうかもしれません。

世界の列強と肩を並べたい、というのがあなた方日本人の野望でした。

しかし中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。

あなた方はいかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。ただ、剣にのみ耳を貸す民族だと聞いております。

それが、大きな誤解でありますように・・・

あなたがたの友、ガンジーより




ガンジーはあくまで、インドを引き裂いてはならないという。

しかしイスラム教徒は、我々がどんな妥協を示しても、自分たちの国家を造るといって、その立場を譲らない。

インド各地で起きている血まみれの惨劇は、エスカレートしていくばかりである。

インドは頭痛から開放されるために、あえて頭を切り落とさなくてはならない。

もはやガンジーような中道的な立場は、非現実的である。

残念ではあるが、ガンジーは今、政治の中心から逸れてしまっている。


~ネルー語録より~


アジアはもう、受身ではありません。黙って人の言うことを聞いたりもしません。

今日のアジアは、力強い活気に溢れているのです。

我々は今更、アジアを支配した国に、憎悪の念を抱くつもりはありません。

これから先は兄弟として席を並べたい、そう願っているだけなのです。

今でも、世界が自分の言いなりになると思っている「大国の論理」

アジアはこれを断固否定します。

アジアの民は、我々に相応しい輝かしい未来を、自らの手で切り開いていかなければならないのです。


~バンドン会議でのネルーの演説~




ハーレムの住宅環境が悪いのは、政府の責任だ。

子供をかじるネズミ、人間の食料を横取りするゴキブリ、みんな政府の責任だ。

まずい食料がものすごく高いのは、政府の責任だ。

すべてはアメリカ政府が悪いのだ。


わが教祖は「黒人至上主義者」と呼ばれている。

我々が白人と同等どころか、白人より優れていると説くからだ。

そう、白人より優れているのだ。

言うまでもないことだが、我々は白人より優れているのだ。

肌の色を比較してみよ。

あなたたちの肌は黄金のように輝いて見える。


~マルコムXの演説より~




「なぜ直接行動を?なぜ座り込みやデモ行進などをするのか?交渉というもっと良い手段があるのではないか?」

と、貴方方が問われるのはもっともです。実に、話し合いこそが直接行動の目的なのです。

非暴力直接行動の狙いは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、

争点と対決せざるをえないような危機感と緊張を作りだそうとするものです。

苦しい体験を通して我々は、自由は決して迫害者の側から自発的に与えられることはなく、

迫害に虐げられている側が、自ら要求しなければならない、と悟ったのです。


~キング獄中からの手紙より~




Well, I don’t know what will happen now; we’ve got some difficult days ahead.

But it really doesn’t matter with me now, because I’ve been to the mountaintop.

And I don’t mind. Like anybody, I would like to live a long life, longevity has its place.

But I’m not concerned about that now. I just want to do God’s will.

And He’s allowed me to go up to the mountain. And I’ve looked over, and I’ve seen ... the Promised Land.

I may not get there with you.

But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the Promised Land.

And so I’m happy tonight; I’m not worried about anything; I’m not fearing any man.

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord...


~暗殺の前夜、キング最後の演説~


[日本語訳]

この先に何が起こるのかはわかりませんが、さまざまな困難が待っていることでしょう。

でも私にとってはもう、どうでもよいのです。なぜなら私はあの山の頂きに登ったのですから。

私も皆さんと同じように長生きがしたい。いや、長生きするのも悪くはないが今となってはどうでも良い。

神の御心を実現したいだけなのです。

神は山の頂きに登ることを許され、私はそこで「約束の地」を見たのです。

私は皆さんといっしょには行けないかも知れない。けれどもぜひ今夜、皆さんには知っておいて欲しい。

我々は一つの民として、約束の地にきっと到達するということを。

今、私は幸せです。何も恐れず、誰も恐れず、神の降臨の栄光を私は見たのですから。




大統領の表情はひきつり、目は苦悩のためほとんど灰色に見えた。

彼は、戦争を引き起こす色々な誤算について語った。

我々が戦いたくないのと同様、ソビエトも戦いたくないのだ。

彼らは我々との戦争を望まないし、我々も彼らとの戦争を望まない。

しかし、ここ数日来の出来事が今後も続けば、戦いは全人類を巻き込み世界を破壊してしまうだろう。

大統領を一番悩ませ、戦争の見通しを恐ろしい物にしたのは、

アメリカと全世界の子供たちが死んでいく幻影だった…


~R.ケネディの回想より~ BR>



ジャングルに入っていくのは、冷たい海に飛び込んでいくみたいでなんだか怖かった。

ドアが開いて叫びながら走って振り返ると、小さな宇宙船みたいな弾がひゅうひゅう飛んでいる。

腕を伸ばせば取れるんじゃないかという気がする。

自分がどこにいてこれからどこにいくのかという現実が初めて見えてきた。

これは戦争なんだ…僕は本当にこんなとこで死んじまうかもしれない。

悪夢のようだった。とにかくショックだった。

……………………………………………………………………………………………………………

確かに、俺たちは攻撃されている。

不注意に頭を上げれば、弾がひゅっと耳を掠める。だけど敵が見えない。

奴らはどこかにいて、俺たちを見ている。

奴らは、俺たちがどこに行くのかさえもちゃんとわかっている。

俺たちは常に、敵の仕掛けた罠で犠牲を払っていたんだ。

作戦に出るときは、長い列になって歩いていくんだ。

自分の足が踏もうとする地面を見つめながら、今日は誰が罠にかかるだろうか、やられるのは誰だろう…と思っている。

精神がほんと、くたくたになる。


~ベトナム前線の米兵の手記~




あの頃アメリカ人は、何のためにベトナムにいるのか?ということが話題になると、

「我々は、内部からの侵略と戦っているこの国を助けるために来ている」というのが決まり文句だった。

だが、ベトナムを助けるという夢は時として神話となり、自分についての幻想を生み出す。

私は我々の側が勝利することを願っていたし、アメリカ的価値も信じていた。

だが…アメリカは勝ってはいなかった。

アメリカ人は平等を謳い、民主主義を信奉し、共産勢力と戦うベトナム人を助けようと躍起になっていた。

が、ベトナムの農民の目には、アメリカ人金持ちの白人であり、

かつて植民地支配にしがみ付いたフランス人の友人なのだ。

我々が思い描くアメリカの姿は、彼らの目にはまったく逆のものに映っていたのだ。


~ハルバースタム 娘への手紙より~




滑る泥道に苦しみながら、私たちは歩き続けていました。

大きなリュックの中には、父からもらったブランデーが入っていました。

ソ連兵士に見つかったとき、パスポート代わりになると思ったからです。

国境の辺りは広い湿地帯でした。履いていたゴム靴が何度も嵌りました。

あと少しで国境・・・あと500歩で国境・・・あそこに辿り着きさえすれば、自由の空気が吸える。

私はそう、何度も自分に言い聞かせていました。

……………………………………………………………………………………………………………

革命後、投獄された私の長男は拷問を受け、神経をズタズタに破壊されました。

次男が同じ目に遭うのも時間の問題だった。罪もない多くの若者が、理由もなく拷問されたのです。

私たちは何度も家族で話し合いました。

しかしこの国を出ていかなければ、神が与えた二人の息子の運命は砕かれてしまう…

私たちはただ、息子の命を守りたかったのです。


~ハンガリー難民の証言より~




私達は今、92年前の同胞ペリー提督と同じ立場にいる。

ペリー提督の目的は、日本に英知と進歩の時代をもたらし、

世界の友情と貿易と通商に向かって孤立のベールを取り払うことであった。

しかし恐ろしいことに、日本は開国によって西洋の科学から得た知識を利用し、

迷信と武力に訴えることによって、言論の自由、さらには思想の自由までも否定したのである。

私の目的は、再び日本民族のエネルギーと才能を建設的な面に向けることだ。

私達の指導によって、この国は現在の惨めな状況から立ち上がり、尊厳に満ちた地位を獲得することが出来る。


~マッカーサーの演説より~


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